Aug 24, 2010
直接講師を選択して楽しかった教習所
自動車免許を取るために通っていた教習所にはとても楽しい所でした。そこの教習所は教官を手動で選択することができます。の機会に自分のカードを入れて、教習したい日付と時刻を選択した場合は講師も選択できます。だから私は、自分と相性のいい講師を選択しました。その講師は優しく丁寧に教えてくれるので、授業が楽しかったです。最近では、リゾートで行われる合宿免許は、非常に人気を集めています。ややコストが高いも旅行気分を一緒に味わいたいという方には沖縄で合宿免許をお勧めします。沖縄の宿泊施設は、早期のそばやゴーヤチャンプルーなど沖縄料理を味わうことができる他の特別な割引を利用して、オプションでスキューバダイビング体ホムドすることができます。
【from Editor】
私は偶然、東京の米国大使館で東日本大震災に遭遇し、前庭に避難した。ルース駐日大使の姿もあった。大使や大使館員らと、揺れが収まるまでの緊張の時間をともにし、日米関係についての認識を新たにすべきことを強く感じた。
東京・赤坂の大使館に向かったのは11日午後2時半ごろ、3時からのシンポジウムを取材するためだった。正門を入り、建物内でボディーチェックを受けようとしたときにグラグラときた。
シンポは、日本人学生の留学数の減少を心配した大使が立ち上げた。「日米教育交流の活性化を目指す」ためのシリーズ開催を計画し、その2回目を初めて大使館で開くことになっていた。
大使の教育への強い関心はよく知られる。カリフォルニア州のスタンフォード大を出て、大手法律事務所を経営していた1990年代に、州教育委員会の委員を務めた。母校では、教育学部長の諮問委員会に参加していた。
シンポでは大使自身もスピーチを予定していた。ところが、米国務省幹部の沖縄差別発言による混乱で急遽(きゅうきょ)、沖縄県に出向かざるを得なかった。知事との会談を終えてとんぼ返りし、シンポ開催に臨もうとしていたのである。
強い余震の中で大使館員に指示する大使は、厳しい憂慮の表情だった。オバマ大統領と近い立場にあり、政権の意向を反映して日米交流の再活性化を打ち出し、それを象徴する具体策がスタートしたばかりだけに無念だったろう。
震災救援のため米政権は「全面的支援」を表明した。「トモダチ作戦(オペレーション)」。米第7艦隊の原子力空母など在日米軍の救援活動を、彼らは、そう名づけた。戦後ずっと、同盟関係を深めてきた日本に対する誠意を感じさせるものだ。
この難局に「トモダチ」と言ってくれる。そんな大国の存在に安心感を持った国民は少なくあるまい。非常時こそ、同盟の真価が問われる。そのことを示すため米国はいま、「友情」を実践に移そうとしているのではないか。
日本の民主党政権では、対米関係に無神経な発言や対応が相次いだ。せっかく築かれた良好な関係に、微妙な負のムードが強まっていた。国家存立の重要な基盤をないがしろにしかねない政権運営だった、と言わざるを得ない。
ルース大使は「(戦後最大の危機にも)日本人は対応能力を持つ」と述べた。「トモダチ」の心情からの発言と受けとめたい。(編集委員 平山一城)
【関連記事】
「世界一の地震国」日本、安全か危険か
「プールに穴」被害で食い違い 米は日本に不信感
救援網から漏れた“避難所”80人孤立 石巻市
新入生に制服回して 1週間遅れの卒業式
口に入るのはおにぎり1個程度 被災した若林区からの便り
東北地方を襲った大地震 いざというときに身を守るためには…
■災害対策庁設置、議論の時
戦後最大の被害を起こした、地震の特徴や津波の発生状況について関西大社会安全学部長、河田恵昭教授(65)に聞いた。河田教授の専攻は巨大災害、都市災害、総合減災システムなどで、政府の中央防災会議の委員などを歴任している。河田教授は、津波の最高到達点が、海抜50メートルの地域までいった可能性を指摘した。
−−発生の構造は
河田氏 沖にある太平洋プレート(岩板)と北米プレートの境界にある岩手沖、宮城沖、福島沖の3つの断層帯が、6分間にわたり(阪神大震災は15秒間)順次壊れていき、南北500キロ東西200キロにわたる巨大地震となった。
−−今回の地震の特徴は
特徴はふたつある。ひとつは地震がこれまで起きなかった空白域から破壊が始まり、思いもよらず広範囲に地震が広がったことだ。もうひとつは巨大なエネルギーにより、沿岸部の被災地ほぼ全域で地盤沈下が起きたことだ。過去の三陸沖地震では地盤沈下は起きていない。
−−巨大なエネルギーは大津波の原因にもなった
映像で見る限り地震動による建物被害は大きくなさそうだ。津波の高さは10メートルの堤防を軽々越えた。津波は10〜20メートルとかいわれているが、被害状況をみているとそんなレベルではないだろう。地震のエネルギーから考えると、明治29(1896)年の明治三陸沖大津波(M8・5、死者2万2千人)の4倍以上のエネルギーだから、今回の津波の最高到達点は海抜約50メートルぐらいの所があったのではないか。
−−避難状況をどうみるか
平日の昼間という時間帯もあるのだろうが、避難誘導する人も少なかったようだ。最初の地震動による家族間の安否確認などで、逃げるのが遅れた可能性もある。あれほどの津波だと、地震が起きた時点ですぐに後背地の高台にでも逃げないと、安全とはいえなかっただろう。
−−全国的に地震被害想定を見直す必要があるか
被害想定を小さく見積もっていた所の対策の見直しや、沿岸部の住宅地の後背地への移転など抜本的な改善が必要だろう。災害対策基本法を抜本的に見直し、国の責任を明確にすることが必要だ。包括的な政策をとるために、各省庁横断的な災害対策庁(仮称)の設置なども議論されていい時期だろう。
【関連記事】
避難所生活 大規模な疎開で命守ろう
新入生に制服回して 1週間遅れの卒業式
被災就職学生に配慮、採用選考延期の動き
「生き返ったよ」陸自の野外浴場オープン
ブータン国王が100万ドルの義援金
東北地方を襲った大地震 いざというときに身を守るためには…
WriteBacks
writeback message: Ready to post a comment.