Mar 01, 2009
医療脱毛はエステサロンよりも安全である
美容クリニックなどで行うレーザー脱毛はあくまで医療脱毛行為に該当するため、出力の高い機械脱毛することです。このため、医療脱毛は、毛の人などには効果が高く、また肌の弱い方は、施術後の薬を処方するので安心安全です。エステサロンのより安い場合もあるが、より安全で完璧な脱毛を望む人は医療脱毛されている美容クリニックの脱毛がお勧めです。小学生のときすぐに赤ら顔される者がクラスあった。かわいい女の子だったが、授業中に先生に送ると、その時点ですぐに真っ赤になる。見ているこちらが息をのむほどだ。私は全然平気な子だったので、どうしてそのように赤ら顔になるか疑問にどうしようもなかった、今では人前で話すと、最高の緊張は必ず赤ら顔になってしまう。
第58回春季東北地区高校野球県大会(県高野連など主催、毎日新聞盛岡支局など後援)の準々決勝2試合が21日、花巻球場で行われ、盛岡一と花巻東が4強に進出した。県営野球場で予定されていた2試合は雨のため22日に順延。準決勝は23日、決勝は24日に、いずれも県営野球場で行われる。【浅野孝仁】
◇仲間信じて投げ抜く−−盛岡一3年・小野寺健太投手
投げ返されたボールには血がついていた。四回裏、低めに外れワンバウンドした球が、十良澤(じゅうりょうざわ)健二捕手(3年)の右手に当たり、途中交代。責任を感じた。「十良澤のためにも、きょうは負けられない。最後まで投げ抜くぞ」
十良澤捕手とは中学校時代からバッテリーを組み、コースや攻め方など何度も2人で試行錯誤を重ねてきた。打たせてとるタイプだけに、リードには絶対の信頼を置いている。十良澤捕手がベンチで見守るなか、気持ちを奮い立たせた。
あいにくの雨で、制球に苦しんだ。それでも冬場に走り込んでつけたスタミナを武器に延長十二回までもつれた接戦を一人で投げきった。「みんなのおかげで勝てた」。帽子のつばの裏に大きく書かれた「信」の文字に目をやった。
準決勝の相手は花巻東。「夏につながる試合がしたい。次も仲間を信じて、最後まで投げ抜く」と力強く話した。【浅野孝仁】
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【花巻球場】
盛岡一 9−3 水沢工
(延長十二回)
花巻東 11−1 釜石商工
(五回コールド)
5月22日朝刊
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◇春季県高校野球選手権(21日・六戸町メイプルスタジアムなど)
▽2回戦
八戸西
100101010=4
000000200=2
弘前工
(八)岩間、佐川−赤坂(譲)
(弘)福嶋−竹浪
▽二塁打 橋本、大坂、佐藤(八)野呂、稲葉(弘)
十和田工
000200022=6
001000002=3
五所川原商
(十)田澤−久慈
(五)鈴木(祥)、加藤、古川−松尾
▽三塁打 奥寺、磯谷(十)
五所川原
030000001=4
000020201=5
東奥義塾
(五)佐々木、藤本、米谷−小野
(東)尾崎(良)、相馬、坂本−白取
▽本塁打 清藤(東)
▽三塁打 米谷(五)
▽二塁打 八木橋(五)佐々木(東)
青森山田
01400111=8
00000010=1
弘前南
(八回コールド)
(青)野村、木村−大前
(弘)木村(聡)−幸田、新谷
▽本塁打 京田(青)
▽三塁打 高谷(弘)
▽二塁打 野村(青)新谷(弘)
光星学院
4301000=8
0000000=0
八戸工大一
(七回コールド)
(光)川上、秋田−松本
(八)森川、古川、笹垣−鎌田
▽本塁打 金山2(光)
▽二塁打 澤(光)
八戸
1024011=9
1000000=1
青森南
(七回コールド)
(八)山本−舘花
(青)高谷−永坂
▽二塁打 武部(八)渡辺(青)
三沢
000010010=2
000000000=0
五所川原工
(三)菊池−木村
(五)成田(佳)、土岐−小野寺
▽二塁打 出戸(三)
青森
001010000=2
000000000=0
弘前学院聖愛
(青)石田−川端
(弘)奈良岡、山谷−斉藤
▽二塁打 飯田、渡部(青)前田(弘)
5月22日朝刊
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◇「20メートルの壁」乗り切り、「九死に一生得た」−−七ケ浜・鈴木武志さん
東日本大震災の津波による損壊を免れようと15年ぶりに息子の漁船を操って荒波を乗り越え、無事生還した元漁師がいる。7度にわたって押し寄せた大波と闘った七ケ浜町吉田浜の鈴木武志さん(80)は「怪物みたいな波だった。過去の経験で培った勘を頼りに、九死に一生を得た」と振り返る。【伊藤一郎】
鈴木さんは、16歳の時、底引き網漁の船乗りになった。22歳で海上保安庁警備隊員に転身。その後、海上自衛官として輸送船のかじを取るなど多彩な経験を積み、地元の漁師に戻った。65歳で引退し、仕事は息子の政志(まさし)さん(52)にバトンタッチ。船に乗ることはなくなり、トマトやサクランボを育てながら、穏やかな生活を送っていた。
しかし、3月11日午後、政志さんが漁業組合の会合で仙台市内に出かけている間に巨大地震が発生。町の大津波警報の防災放送を聞き、とっさに「沖に出さないと、船がやられる」と判断。政志さんの妻とし子さん(51)を高台に避難させ、息子が新調した4代目「はやぶさ号」(約5トン)に乗り込んだ。
当時、家にいた孫の誠一さん(31)は漁師経験はなかったが「80歳のじいさん1人で海に出せない」と同乗。武志さんがエンジンをかけ、港を離れた。約2キロの沖合で「高さ20メートルの壁」が現れた。
波にのまれないよう、船が波と直角になるようかじを切る。ジェットコースターのように急角度の波を上り、頂上にたどり着いたと思うと、ドスンと海面にたたきつけられた。
5分後に第2波、その後3分間に連続して5度の大波を受けたが、かじにしがみつき、死に物狂いで乗り切った。その後に現れたのは限りなく泡だった真っ白な海面。そしてすぐに、海底の泥を巻き上げた真っ黒な海へと変わった。
「助かった」。ほっとしたのもつかの間、今度はコンテナや流された家屋が陸から大量に押し寄せた。「燃料が切れたら戻れなくなる」。エンジンを切ってかじの操作だけで避けながら、一睡もしないで漂流した。
夜が明けてもさまよい続け、震災翌日の午後4時ごろ、ようやく仙台塩釜港に船を着けた。
2カ月たった今も船は塩釜に置いてある。鈴木さんは「長年、海の仕事をしてきたので、命の危険を感じたことは何度もあるが、今回は別格。自然を甘く見てはいけないという教訓を子孫にも伝えたい」と語った。<<交通事故in 相談~って
5月22日朝刊
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